秩 父 神 社
秩父市番場町1-1

第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされる、 武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至る


知知夫国の総鎮守
戦国時代末期に兵火によって焼失したものを、1592年(天正20年)徳川家康の命によって、代官成瀬吉右衛門により再建されたものが現在の社殿 

  
学業成就と縁結びにご利益のある神社

 
平成殿を右に見て神門に向かう

  
平成殿 (社務所)


神門   秩父神社が学業成就・縁結びの神様


授与所 朱印を頂く

秩父神社は、戦国時代に一度消失したが、徳川家康の力によって現在の社殿が再建されてる

   
12月1日〜6日に開催される埼玉で最も人気のあるお祭り、秩父夜祭。日本三大曳山祭の一つで、その屋台ばやしは県指定無形文化財にも認定されている


祭神 : 〇八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと) 
                           〇知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと) - 八意思兼命の十世孫で、初代知知夫国造
                  〇天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) - 鎌倉時代に合祀  
             〇秩父宮雍仁親王 - 昭和天皇の弟。昭和28年に合祀  

  
知知夫国の総鎮守
本殿、弊殿、拝殿の三棟からなる権現造りで、極彩色に彩られた多くの彫刻郡に覆われた豪華な造り



  
本 殿


本殿入口


「子宝 子育ての虎」 右 甚五郎 
家康は、寅年・寅の日・寅の刻生まれということで、秩父神社には虎の彫刻が多く残っている
この「子育ての虎」もその内の1つ、母虎がどう見ても豹ですが、これは製作当時の定法として、「虎の群れの中には必ず豹を1匹描くこと」とされていたため



  


お元気三猿
秩父神社にある三猿の彫刻は何も我慢していません。そのテーマは「よく見・よく聞いて・よく話そう」です。
日光とは正反対です。これが「お元気三猿」と言われる由縁。猿たち顔もウキウキしています。
情報化社会の現代においては「お元気三猿」の教訓の方が時代に則しているのかもしれません。

 
神社の北側にある梟の彫刻「北辰の梟」は、思慮深い顔をして常に御祭神を見守っている
しかしこの梟、よく見ると頭と体の向きが正反対なのです。頭は御祭神の方(北)を向き、体は御本殿の方(南)を向いている

 


「つなぎの龍」 左 甚五郎 

本殿の東側にある「つなぎの龍」は、色鮮やかな青龍の彫り物 昔、秩父の少林寺の近くには天ヶ池という池があり、その池には暴れん坊の龍がおり、農民たちは頭を悩ませていた、 ある農民が龍が暴れまわった後には必ずこの彫刻の下に水溜りが出来ているということに気が付き、 試しに人々は彫刻の龍を鎖で縛り付けてみたところ、天ヶ池の龍は2度とその姿を見せなくなったとのこと

  


天神地祇社

  
   日御碕宮 悪病退散                               諏訪神社 風水守護・旅安全                             作稲荷神社 商売繁盛の神   


神降石

  
神楽殿